ご報告
2020.08.16 Sunday
紫苑の姉です。
紫苑は8月13日21時11分に亡くなりました。
15日に家族で葬儀を終え夕方帰宅しました。
前のブログを書いた後からの話を少し書いておきます。
6月22日は午前中だけ仕事に行き、6月23日は定期の診察で朝病院へ向かいました。送る車の中で「昨日お腹が痛すぎて会社の更衣室で暴れてたらコンタクト片方なくしたから家帰ったら注文しなくちゃ」と言っていたのが、病院で診察したところ直腸が破れているとのことで即入院となりました。
6月中はまだ元気で自宅で作ったジュース市販のジュースを飲んだりゼリーを食べたりしていました。
7月1日のCT検査、異常なしだったと本人から連絡があり、夕飯も重湯が出るようになりました。
7月2日、自宅で作ったメロンジュースを喜んで飲み、血液検査の異常がなければ7月7日に退院できるとの連絡。
が、7月3日にもう少し様子見で7日の退院はなしにするとの連絡。この時に飲んでいたメロンジュースが悪かったのだと本人は思ってしまったようで、以後メロンジュースは飲みたくないと。メロン大好きなはずなのに。
そして再び絶飲食に。
7月9日に病院から電話。主治医の先生から話があるとのこと。
腹膜播種の状態が悪いと。ストマにしたので基本的には小腸までしか通らないことにはなっているけれど、体内は繋がっているので飲食したらどうしても腸を取ってしまう分があり、腹膜が炎症を起こしてしまうとのこと。
そして、この先もう家に帰れることはありませんと言われました。痛みがひどいので医療用の麻薬も処方しましたと。
絶飲食が続いても、本人は治る気まんまんで、お腹の中がきれいになればまた元気になって家に帰れるし仕事にも行きたいし、8月下旬頃に一昨年行った岐阜の温泉に行きたいんだけど混んでるかな?と至って前向き。
7月21日には「23日、キウイジュース持って来て!先生の許可出た!」とうれしそうなLINEが来ました。
近江町市場の果物屋で最高に良さそうなキウイを買って本人の希望通りのキウイのみ混ざりっ気なしジュースを届けましたが酸っぱくて飲めなかったと。そしてやっぱりお腹に何かを入れるのは良くないようで再び絶飲食になりました。
7月29日、夜病院へ行くと画面が真っ黒で表示されていないスマホをスクロールしながらうれしそうに「11月24日、神戸のいつものホテルとっといて。ミッチーのLIVEがあるの!」と。今年のLIVEは全公演中止で払い戻しをしたはずなのに決まったのかな?と帰りに病院の駐車場でミッチー公式やらTwitterやら確認しましたがあるのは「チケットの払い戻しは8月31日までです」だけで。せん妄なのか…
7月30日未明、「口の中の乾燥が酷いので乾燥しないよう助けて」とLNE有。
7月31日、スイカのジュースを持ってきてと電話。ナースセンターに飲んでいいのかこちらから確認を取り、ジューサーをかけたスイカを更に裏ごししたジュースを届け3口ほど飲みました。
でもやっぱり良くなかったようで、翌日、生のフルーツは刺激が強すぎるからいろはすのフルーツ味のを持ってきてとのこと。そのいろはすを飲んだのも2口ほどだったでしょうか。
30日も31日ももうスマホを操作することが大変だったようで、LINEの文章が途中で途切れ電話で補うようになっていました。
8月1日からはLINEは一切既読にならず。病院へ行っても「おかあさん」「おねえちゃん」「うん」ぐらいしか話せなくなりました。
8月2日から鼻から胃の中のものを出す管が装着されました。これで吐かずにすむとのこと。
8月9日までは意識があり、目も開いていたのですが、10日の朝に病院から「呼吸が途切れ途切れになったのですぐに来てください」と連絡。極めて危険な状態になっているとのことでその日は付き添いで病院に泊まりました。
熱が出たり、左足だけ冷たく青くなってきたり、血圧が低すぎて機械では測れないと言われたり、心電図もパッチの場所によっては反応しないと言われたりでしたが13日まではこちらからは同じような状態に見え、13日の午後に「おじいちゃんのお墓参りに行ってくるからね。また明日ね」と頭を撫でたのが、生きている彼女にかけた最後の言葉となってしまいました。
13日の20時40分頃に病院から電話。「呼吸していません。すぐに来てください」と。
20時37分に心臓が止まったそうです。
病院に駆けつけた時、まだ頭は温かく、ずっと口をあけっぱなしで苦しそうにしていたのがやっと楽になったのか、微笑んでいるように見えました。
15日葬儀。お気に入りの黄色いワンピースを着てヒマワリを中心とした黄色い花に囲まれてとてもきれいでした。
6年8カ月の闘病は大変だったろうと思うけれど、良いお友達に恵まれ、たくさんの趣味を思う存分楽しみ、どんなに休むことが多くても働かせてくれる職場にも恵まれ本当にありがたいことでした。
まだ、いなくなってしまったことが信じられないですが、苦しみからはやっと解放されたのだと思います。
今までお世話になったみなさん本当にありがとうございました。
星野源見つけた
2020.06.20 Saturday
コロナ禍で過去の人気ドラマが色々再放送してます。
夜は早く寝てしまう&テレビを見るのはかなり体力が要るので、
調子がいい時に昼間の再放送を見たり、録画しておいた番組を見たり。しか今のところできないため、ゴールデンタイムの再放送とは無縁ですが(^^;
先月、ネット記事で今こそ、このドラマを再放送してほしい!という中で大好きな「ウォーターボーイズ」を熱く推している方がいて。
理由として今、活躍中の俳優の若かりし頃の作品で出演の山田孝之、森山未來、瑛太らに混じって星野源の名前を見てえええΣ(Д゚;/)/となり、改めてDVD-BOXを久しぶりに開いてみたら…。ボーイズの出演者一覧の最後のほうに確かに写真つきで載っているではないですか!?一応、『星山』という役名がついてます。
この作品、主要メンバーはちゃんと役名があるんだけど、モブに近い役だと水泳部員なら前畑、千葉、長崎、岩崎とどこかで聞いたような名前がついてたり。
因みに、重要な水泳部キャプテンの役名は北嶋大地です(笑)。
これ、何が凄いって北京五輪の前年の作品だから北島選手がまだ金メダル獲る前なのよね。
その他の生徒役は、関田→関口のように役者の名前から一文字とってつけたのがほとんどです。だから星野→星山。
2000年代は夏が近づくと毎年のように再放送していて。その度に飽きもせず見て(笑)途中で続きをDVDで見るのがパターンでしたが、いつしか見なくなり。
未來君や瑛太、田中圭の活躍をたまに見かけると何だか嬉しくなってました。
今回、とても久しぶりに見たら当たり前だけど、皆若い!
たまたま見てるところに顔を出した家族が瑛太を見てこれ、誰?ときいて教えたら今と全然違う子供や〜と驚いてました。
さて、星野源です。どこにいるのかな〜と見始めたら初回からいました。どうしてもシンクロがやりたい進藤が同好会メンバーを集めるため、かつてシンクロをやりたいと燃えていた元水泳部員の星山に声をかけると、今は軽音楽部でギターをかき鳴らしながら「お前まだそんなことやってんの?」と冷たくあしらう台詞まで!?
黒縁メガネをかけて、小柄で地味です。
台詞があるよ、と驚きましたがその後は徹底してただのモブ。時折軽音3人組で外階段の踊り場に現れて妙ちきりんな歌の横でギターを鳴らしてます。
特典盤によると劇中で歌われるくだらない歌(本人談)は全て僕が作りましたとのこと。本業が役に活かされてます。
♪シンクロ、シンクロ、シンクロやってモテたいのさ〜 とかね(笑)
次に分かりやすかったのは夏休み前後に校長の訓示を聞くシーン。休み前はぼーとっと立っているのが明けは大あくびをしてて芸が細かい(笑)。
後は文化祭の看板を作っている時に乱入した町の人達に押されてペンキ缶が落ちそうになり「落ちる落ちる」と慌ててたり。この後お決まりのドリフのコントの如く下を歩いていた教頭の背中に落下して背広が台無しになり青くなるオマケつき。
そんなほぼ目立たない星山君ですが、クライマックスの教頭が市長らにプール取り壊しを延期し唯野高校は文化祭でのシンクロ公演を敢行します!と宣言するくだりで会議の行方を仲間と見守るシーンでは主役達に混じって何故か最前列にいるという(笑)。
出演を知った時は星野源の人となりを知らないので、スポーツましてや過酷な地獄合宿を伴ったボーイズの一員なことが結びつかず。特典盤に収録されている最後のボーイズ1人ずつ挨拶で真っ黒に日焼けした身体で北島選手ばりに何も言えねえ状態で声を絞り出す姿はめちゃくちゃ熱いっ。「これは一生忘れないわ」と感無量でほぼ叫んてたけど今でもあの日々を覚えているといいな。
ひょんなことから10年ぶりくらいで見たけれど。やっぱり好きだー。毎回ボロ泣き。細かい部分は忘れているおかげで、あっそうだったと改めて楽しめました。
当時は未來君が演じた勘九郎の相棒、元気印のお調子者、タテノリこと立松憲男が大好きで未來君のキレッキレのダンスにも惚れてしまいDVDを買ったのですが。
今見ると、タテノリもいいけど断然、瑛太演じる変わり者の田中君がイチオシです!
田中、最初は相当屈折してるけど(笑)あんないい子いないよ。最初は好きな子を振り向かせる為に恩着せがましく「僕が入部してやった」と5人めの部員になるのに。だんだん本気になり、「お前ら少しは頭つかえよ」と呆れながらも凄く頼りになるし。教頭に無理矢理行かされた夏季講習で講師に罵倒されながら従ってたのが本当に大切なのは何か気付いて啖呵を切って堂々と出ていく姿にしびれました。
花村さんを巡って勘九郎に焼きもち妬くのもいいなあ。
最後、念願叶って花村さんにOKもらえて良かったね。
しかし、田中以上の天才的な頭脳の持ち主、タテノリは窮地におちゃらけてばかりでいい知恵を授けなかったのは何でだろう?わざと?面倒くさかったから?
主役の進藤は今見てもやっぱり少し苦手(^^;凄く純粋でいい子だし、決して諦めない姿は素敵だけど。優柔不断過ぎてそれが色んなトラブルを引き起こしてるっていい加減気付いてよ、とおばちゃんは思ってしまうのよ。
そして、すっかり忘れていたけど憎まれ役の山岡教頭の布施明が最高でした。
最初はもう地団駄踏むくらいやな奴だったのが、最後の最後に味方になるのが美味しすぎて。上に挙げたシーンは何度見ても涙腺崩壊します(^^;
素直になってからは本当に楽しそうで。最終回のシンクロ公演を見る姿がいいのよねえ。
たまたま、3月の入院時に談話室で「君は薔薇より美しい」を変わらぬ歌声で熱唱するのを見て、うわ〜と感激すると同時にものすごいおじいちゃんになったなあと思ったので。若いなあと当たり前のことにしみじみしてしまいました。
最後のシンクロ公演は今見ても圧巻。こういう作品、今はもう作れないんだろうなあと思うと少し寂しくなるけれど。
久しぶりに見返す機会をありがとう\(^o^)/楽しかった〜。
ポート入れ替え
2020.06.14 Sunday
6月から週に2日、午前中のみのゆるゆる勤務で会社に行き始めました。
当初は週に3日の予定でしたが、体力がどうしてももたず。
しばらくは2日で様子を見つつ、やっていきます。
こんな緩い働き方、あり得ませんが許してくれる会社や社内の人達には感謝しかないです。
仕事に行くと活動量が全然違うのでいつもより少したくさん食べられるのです。
疲れは大きいけれど、少しずつちゃんと動けるようになって嬉しいなあと思っていたら。
先週の半ばから、夜中から明け方にかけて40度近い高熱が出て朝、9時過ぎくらいに平熱に戻る、というのが3日続き。
さすがに40度近い高熱が数時間続くのは辛く、ベッドの中でもう死にたいと何度も呻く日々でした。
でも、現金なもので熱がない昼間は食べられもしない美味しそうな料理をネットで眺めては食べたいなあ、と妄想するのです(笑)
とはいえ、こうも高熱が続くとせっかくついてきた体力もガタ落ち。
何とかして〜と毎日点滴しにやって来てくれる訪問看護師さんに泣きつき。
小腸に人工器官、ストーマを設置したため毎日一定量水分&栄養補給をしないと今はならず。夕方に点滴をしてもらい、夜中止まったら自分で終了処理をしています。
そんなわけで何かあれば直ぐに対処してくれる訪問看護サービスには本当に助かるし、心強いです。毎週様子を見に来てくれる院長先生がどうして夜〜朝だけ熱が出るのか考えて出した結論が点滴。
抗がん剤の影響ですっかり血管が細くなり、胸に入れたポートという人工器官を使って点滴をしているのですが、そのポートが原因ではないかと。
試しに2日間、腕から点滴してみたところ熱が出なくなりました。
直ぐに訪問看護サービスから主治医に連絡したところ、直ぐに病院へ来てくださいとなり。
ポートに菌がついたと思われるので今日、抜きましょうと言われ。
心の準備も何もありませんが緊急手術で取り除いて帰って来ました。
それが月曜日。ちなみに手術自体は1時間です。
新しいポートは、菌が身体に残っていないか数日様子を見て金曜から1泊2日で入院して入れることに。
先生から抜くのは簡単なんです、と言われた時はそうなの?とちょっと拍子抜けでした。
そんなわけで金曜に入院し、その日の午後に新しいポートを反対側の胸に設置してもらい土曜日に退院してきました。
1日だったのと、とにかくしんどかったので個室にしたら静かで快適でした。
3月に長期入院した時と同じ病棟だったので、顔馴染みの看護師さんと再会して楽しかった。
手術の後、何度も吐いたり空調を切ったら熱中症になりかけて点滴してもらったり、度重なる高熱のせいで酷い貧血状態になっていたことが判明して輸血したりとけっこう大変だったけど。朝、目覚めると身体がずいぶん楽になってました。
このところちょっと動くとしんどかったのは貧血のせいとわかり、今までなったことがないためこんなにしんどいものなのかと驚きました。
昨日はご飯もしっかり食べられて、今朝は久しぶりにすっきりした気分で目覚めました。まだ体力がないけれど熱がなくなれば活動量も増えるので。
また、ゆるゆると少しずつ焦らずやっていきます〜。
昨夜の報道ステーションのつばちゃんリモート出演、いい感じに編集してくれて楽しかった〜。
観客のいない球場でもパフォーマンスをする理由が嬉し過ぎて楽しいのにぼろぼろ泣いてしまいました(^^;
再入退院とドセタキセル その3
2020.05.23 Saturday
またまた前回からかなり続きがあきました。
へたりすぎていてとてもブログを書く力もありませんでした。
薬の投与から3週間目なので、まさかもう副作用はないだろうとおもっていたのですが大甘でした(ぐすん)。
5月4日の月曜朝、目覚めた時に枕に大量の髪が抜け落ちていてぎょっとしました。これまでも抗がん剤による脱毛は何度も経験しましたが、いつも2回目の投与から髪が抜け始めていたため、今回ももう少し先だと思っていたのでビックリ!
更にとにかく身体がだるく重く。日中になるとどんどん酷くなり、自分の意思とは無関係に目蓋が降りて来てしまい、何もできません。
しんどいのと何かをしている途中で意識がなくなりそうで、動くこともままなりません。
毎日夕方に訪問看護士が来てくれて、点滴をしてくれるのですが今日の状態を説明をしている間にもすーっと目蓋が降りて来て、初めて見る現象に看護士さんも驚いてました。
その日はいつもの通り点滴を施され、夕食後ベッドに横になっていると再び連絡があり、抗生物質の投与に再訪してくれました。
夜、寝ている時がとにかくしんどくて苦しくて。一晩中辛かった。
火曜日もほぼ同様な感じで。ただ、目蓋が勝手に降りて来てしまう現象は前日より少し和らぎました。
この日の訪問看護の方はベテランだけあって、前日何でだろう? と思っていたことは熱によるものと即座に判定。この日から解熱剤を服用することに。
水曜日も同様な感じですが、前夜、解熱剤を飲んだおかげで朝はふらふらする以外は少し楽でした。でも、この夜は寝初めてしばらくしたら、ものすごい悪寒に襲われ、布団から出ることはもちろん、手を伸ばして鼻をかむこともままならないほど。悪寒がやっと治まっと思ったら、熱が急上昇し始め39度を軽く超えました。
木曜日もほぼ同様です。日中のだるさが日に日に増していきます。
この日は、採血も行い、結果を受けて金曜日から抗生物質の内容が変わり投与が朝夕の2回に変更に。
金曜日もやはり、前日と似たような症状。毎晩、高熱が出て解熱を繰り返すのでものすごく辛い。
土曜日になったら流石に少しは良くなるかなと期待しましたが、結局さほど変わらず。3日連続で解熱剤を飲んだせいで別の副作用が起きて、身体が鉛のように重くなってしまったため、この夜は氷枕で凌ぐことに。
明け方には何とか熱も下がり、日中はだいぶ回復していたため、今夜はもう熱が上がらないといいなーと思っていたのですが。
土曜夜もやはり、熱が上がり何とこの夜は数日ぶりの39度超え。もう解熱剤は飲まないと固く決めていたので、この夜も氷枕と水分補給で何とか一晩乗り越えました。
日曜の朝になり、やっと37度台まで下がると同時に、自分でも毎回不思議なのですがようやく「あ、今回の副作用はこれで終わった」という感覚が初めて訪れました。
翌週の火曜は2回目の抗がん剤投与だったのですが、前回の受診以降の副作用の顛末を時系列に沿って記録したものを先生に渡し、もう抗がん剤は出来ません、とお願いしたところ。思いの外、すんなり受け入れられました。これからは毎月、血液検査等で様子を見ながら、何かあれば都度対応していくことになりました。
わーい、これで体力回復に努めるぞ〜とその日は嬉しかったのですが。
頑張って外出したのが思いのほか、たたったらしく。
その日の午後はもちろん、翌日の水曜日はものすごくぐったりしてしまい、1日中ほぼ起き上がることも出来ませんでした。
これには、さすがに落ち込んでしまいました(泣)。
それからは、少しずつ亀の歩みで動ける時間を増やすようにしているのですが。今週に入り、もう副作用は終了したはずなのに。
水、木、金と3日続けてまた夜中に熱が上がる症状が出て、一体何故なんだろう? と。
昨日は久しぶりに会社へ行き、6月からの復帰について話をして、丁度コロナ禍の影響で雇用調整に入っているのあり。有り難いくらいのゆるゆる勤務で無理のない範囲で様子を見ながら仕事を始めることも決定しました。久しぶりに同僚と会話もして、疲れたけれどとっても楽しかったのです。午後は流石にぐったり、でほぼ寝ていたのですが。
2日続けて解熱剤を飲んだせいで、身体がとてもだるかったのもあり、昨夜も久しぶりに氷枕で凌ごう!作戦を決行したのですが。
なかなか熱が下がらず苦しかった。
ようやく起き上がれるようになったのですが、すぐに疲れてしまうのは仕方がないにしても、毎晩発熱するのが本当に困ります。
焦っても仕方がないので。地道に少しずつやっていきます〜。
再入退院とドセタキセル その2
2020.05.13 Wednesday
ドセタキセル投与から2日後の4月24日。
遂に晴れて退院の日がやってきました。
投与当日、翌日と副作用は現れなかったのですが、退院当日から副作用が始まりました。
朝食後、身の回りの片づけをしていたら、お馴染みの吐き気がやってきて嘔吐。一度嘔吐した後は、しばらく休んでいれば回復するので、休み休み退院準備をします。
この日から新型ウィルスへの対策がより厳しくなり、入院患者は病棟からの出入りが1日1回に制限され、そこそこ動ける患者にとってはかなり窮屈になりました。
もちろん面会は一切アウトです。着替え等の差し入れは1階受付で病棟ごとにまとめ、各病棟の看護士さんが各自に配ることに。
丁度退院の日からで本当によかった〜。
退院時も例外ではなくこの日、荷物は1階まで看護士さんが運んでくれました。
2月に入院した時からずっと、退院したら行きたかったお気に入りの紅茶やさんで前日お願いしておいたテイクアウトのセットをお昼用に受け取り、帰宅後美味しく頂きました。幸せ〜。
数時間後に結局、嘔吐してしまうのですが(苦笑)美味しかった〜という満足感はひととき得られます。この日から週末までの3日間は、食べた後に嘔吐はするものの、以前のような完全な絶食になることはないのが救いでした。
週が変われば、嘔吐も治まり少しずつ体力を取り戻していこう、と思っていたら。
明けて月曜日。朝から上から抑えつけられるようなだるさが襲ってきます。加えてとてつもない息苦しさで、ほんの少し動いただけで息が切れて動けません。そんな状況が午前中いっぱいずっと続きます。夜になるとひざ下からがとにかく痒い!
息切れが治まる時間が日を追うごとに少しずつ早くなっていくのと対照的に身体のかゆみは足からどんどん上に範囲が広がり耐え難くなっていきました。
退院から1週間後の5月1日。
退院後の検査の為、病院へ。この頃には息切れで身動きがとれないのが10時までには治まるようになっていたので受診も何とかなるかなと思っていたのですが。
病院は広い!そんな当たり前のことが弱り切った身体には堪えました。
検査と受診科はフロアも違うため、亀の歩みでしか進めない身には辛い。
婦人科へたどり着いた頃には完全に弱り切ってしまい、待っている間に久しぶりに嘔吐しました。
先生に退院後の状況を説明し、週明けくらいから副作用も抜けて徐々に回復していくといいですね、と次回からの減量と投薬間隔を少し開けることを決め点滴を受けてから帰宅。
久しぶりの外出は思った以上に負担が大きかったらしく、帰宅後はぐったりでした。
週末には息苦しさと身体のだるさも随分、軽くなり全身の痒みも土曜夜で遂に治まりこれでやっと終わった、と思っていました。
更にくづつ
再入退院とドセタキセル
2020.05.02 Saturday
またまたお久しぶりです。
ようやく起き上がってPCの前に座ることが出来るようになりました。
3月末に再入院から何とか退院し、毎日訪問看護サービスによる点滴治療を受けながら日常復帰を目指していたのですが。
今後の治療方針を話し合うために再診に向かう4月14日。この日は前日夜に激しい嘔吐があり、手足がしびれてフラフラで起き上がるのもままならず。
訪問看護サービスに助けを求めたところ、病院へ行けるようにすぐに点滴しましょう、と駆けつけてくれました。
こういうきめ細かい対応をしてくれるのが本当に助かります。
急ぎ、入れられるだけ点滴してタクシーまで送ってもらい、何とか病院に辿り着いたものの。病院は広い!何とか婦人科の受付まで這うように行き、とても座っていられないため順番までベッドで休ませてもらい。
対面した主治医にこれこれこういう状況だから、点滴をお願いしますと伝えたところ、即座に血液&尿検査と点滴をすることに。
3時間ほどの点滴を終え、何とか動けるようになり検査結果を伝える先生がマグネシウムの値が危険水域です。腫瘍マーカーも上昇してますし、一度戻ってもいいけれどこのまま入院した方が……という提案に、前回とは違い一も二もなく同意してました。
病棟まではもちろん自力で行けないので車椅子を押してもらっての移動です(^^ゞ
家族に入院になったので必要な荷物を依頼し、今度は勝手知ったる婦人科病棟へ。
このご時勢なので幸い、病棟が空いていて助かりました。
しかし、激しい嘔吐等で脱水症状は覚悟していましたが、まさかのマグネシム欠乏。短くなってしまった小腸からの栄養吸収が上手くいかなかいためで、これは予想外でした。何だか見たことがないいつもの先生の態度とは違う慌てぶりが自分が思うよりも危険な状況だったんだなーと。今日が丁度受診日で良かったと思いました。
病衣に着替えてほどなくして点滴が始まりました。
今回は24時間の点滴だけでなく、あまり馴染みのない心電図の装置が取り付けられ、これが無駄に重い。
マグネシウム値が崩れると不整脈や心不全の危険性があるそうで。真剣に訴える先生をよそに、ふーんそうなの? とどこまでもお気楽な私(^^ゞ
入院した週末に取り外されるまでずっと邪魔だなーと思ってました。
ベッドに横になり、点滴を入れられてひと眠りするうちにだいぶ気分がよくなってきました。そうすると、吐くのが怖くて食べられなかった食欲が急に沸いてきました。
家だと日に日に食べられる量が減って行ったのに、今回の入院では入院した日の夕食からどんどん逆に食べられるようになりました。
前回の入院時は、もう病院のご飯飽きたー嫌だーと思っていたのが、あれ?これ食べやすくて美味しいと感じるまでに(苦笑)。
今回の入院では、入院した時はこの人どうなるんだろう? 状態だったのにその日の夕食から食べられるようになり、点滴で栄養も補給したおかげか数日は手足の痺れがあったものの、みるみるうちに回復していくのが自分でもわかりました。
当初は病棟のすぐ隣のトイレに行くのもやっとだったのが、程なくして病棟から続く談話室へ自力で行けるようになり。入院した週末には他所のフロアやコンビニに買い物へも行けるようになりました。
前回はまだまだ慣れず、粗相をしてばかりだったイレオストミーの扱いも看護士さんに褒められるほど上手くなっていて、数日に一度行わなければならない装具の交換もスムーズに出来ました(^-^)v
今回の入院では、血液検査の数値を回復させることと同時に入院中に新しい抗がん剤を投与する目的も。
順調に回復し、入院した翌週の水曜に新しい抗がん剤、ドセタキセルの投与を受けました。
事前に薬剤師から副作用の説明を一通り受けていましたが、投与当日と翌日はほぼ影響なく先生とも今回のはよさそうですね、と話していたら……。
くづつ
慌てないあわてない
2020.04.12 Sunday
退院して2週間目の週末。
なかなか体調が安定せず、毎日一喜一憂で落ち込んだりこの先どうなるのか不安になったりしますが。今日は退院して一番、体調が安定してご飯も退院後もっともしっかり食べることが出来ました。
入院中は退院したらあれを食べよう、これも食べたいと強く思っていたのに実際に家に帰ってからは思うようにご飯が食べられず。あんなに食べたいと願っていたおかずはとてもいらないや、という状態だったりで。
これまでの闘病生活とは随分勝手が違うことにかなり戸惑ってます。
ですが、在宅治療に来てくれる看護士さんと話したりするうちに、今回はこれまでとは違うのだ。のんびりゆっくり徐々にやっていこう、という気持ちにようやくなりつつあります。
幸いなのか(?)、今世の中がこういう状態なので目の前にニンジンとなるようなお出かけも全くなく。何より今はまだ外出がままならないので毎日様子見しながらのんびりやっていきます。
野球場へ行こう
2020.04.02 Thursday
家での生活も3日目。少しずつ点滴のペースにも慣れてきました。
あとは点滴の本数が減ってくれるように回復してくれるのを願うのみです。
今日は午後から晴れてきたので、点滴終了後に近くのお宮さんまで歩こうかとも思いましたが、コロナも心配なのと寒いのでやめました。
もう少し体力が回復してきたら少しだけ家の周りを歩いてみよう。
未だ開幕の目途が立たず、下手したら今季のペナントレース自体がなくなるのでは? という悲しい予感すらしていますが。
今日のつばブログでつばちゃんが渾身の動画を発表したのを見ました。
タイトルはそのままズバリ、”やきゅうじょうへいこう!”
見始めた途端、目から汗と鼻から水が止まらなくなりました。
すっかり見慣れてしまった馴染みの光景と野球場へ行こうのBGM。
神宮はもちろん、甲子園でも流れていたなーと。当たり前のように毎年暑い中観戦に行ってましたが、果たして再び球場で観戦することは出来るのか? コロナもそうだけれど、点滴がなくならない限り旅行は夢の夢なので。神宮観戦を始めた頃はこんなに長く、毎年観戦に行けるとは思っていなかったけれど。人間は贅沢なもので、ついつい今できることは来年も当たり前に叶うと思ってしまいます。
今年はもしかしたら無理でも、来年もう一度球場で働くつばちゃんが見られますように!
腸閉塞
2020.04.01 Wednesday
今日から4月1日。そして、お久しぶりです。
ようやく家に帰ることが出来ました。2月の初めに突然、腸閉塞を発症して約2ヶ月。最初に収監された時はまさかここまでかかるとは思ってもいませんでした。
今年に入ったくらいから、何だか便秘気味だなとは思っていました。いつも、抗がん剤治療の後は便秘になるのですが、処方されている便秘薬を飲むと解消されてその後は正常になるのですが。年が明けたくらいから、薬を飲んでもこれまでほどの効果がなく。また、今までなかった腹痛がありました。
何だかんだとだましだましやっていたのですが。
建国記念の日。前日にものすごい腹痛があり、一晩眠れないくらいでしたが翌朝になると痛みもだいぶ引いており、当日は出勤日だったので出社し仕事をしていました。午前中は割と調子がよく、たまった仕事を片付けていました。
昼休みに持参したおにぎりを美味しく頂き、しばらくするとだんだん具合が悪くなってきたので水分を沢山取ろうとペットボトル1本を少しずつ飲み干した昼休み明け。
盛大な嘔吐とともに今までにありえないくらいの量を吐いてしまいました。これは、ヤバイと思い諦めて早退し病院へ送ってもらいましたが、病院に向かう車中ではとても座っていられない状態でした。
救急外来を待つ間も嘔吐は止まらず。検査結果を聞く間も吐き通し。当直医の見立ては結石で、ただこんなに吐くのはおかしい?と首を傾げながらも翌日の外来の予約を入れてその日は帰宅。
一晩、ほぼ眠れないくらいお腹がパンパンに張り息苦しい夜を過ごし、翌日も病院へ。予約は泌尿器科でしたがどう考えてもそうじゃないだろう?と思ったので、いつもの婦人科を予約外で受診したところ。たまたま主治医の診療日を重なり、腹部エコーで確認した瞬間、お腹にパンパンに便が詰まっている!すぐに消化器内科に連絡してもらい、検査の結果腸閉塞ということで、そのまま入院になりました。
投薬治療で様子を見ること1週間。なかなか溜まった腸の内容物が減りません。薬を変えたりしつつ、ほんの少しは減ったかなぁという感じで数週間が経過。とにかくいつまでも入院していられない、と2月末に一旦退院。まだお腹はパンパンでしたが、翌日は少しだけ調子もよくなりやっぱり家の方がいいと思ったのですが2日目には再び悪化。丁度日曜だったので翌日まで待ち、諦めて週明けの3月2日に再び病院へ。
この時は多分、再入院覚悟で家に入院支度をしておいて行きました。
消化器内科の担当医が慌てて再検査したところ、悪化しておりただし大元は卵巣がん原発の腹膜の腫瘍だから、ということで再び婦人科で治療してください、と。この時点でもうめっちゃ不信感です。
その日のうちに婦人科で鼻から胃管を入れ、腸にたまった内容物を外に出す治療を開始。みるみるうちに溜まっていく内容物にこんなにいっぱい溜まっていたのかと。まるでお腹にメロンが詰まっているかのようにパンパンだったのが、1ヶ月ぶりにようやくすっきりしました。
2日かけて腸閉塞自体は治まりましたが、閉塞の原因となっている腹膜の腫瘍がある限り再発の危険が常にあり、今後のことを考えて小腸にストーマ(人工肛門)を作り閉塞を回避した上で腫瘍の治療をするのがよい、ということで消化器外科にて緊急手術を行うことになりました。
入院が月曜で水曜には手術、という異例のスピードで心構えもろくにないまま手術となりました。
手術自体は、これまでとは違い2時間弱と短く、手術後の夜は吐き通しなのが初めてそれがなかったけれど。開腹なので痛みはやっぱりものすごくありました。しばらくは寝返りも打てず、ベッドから起き上がれずというお決まりのコースを辿る間も手術前からずーーーーっと絶食なのが何よりも辛かった(苦笑)。
初めて重湯が開始になった時は嬉しかったなぁ。
当初は手術後、10日くらいで退院という見立てだったのですが、2月から1ヶ月以上ほぼ絶食で体力が激減していたのと病院だと眠れないのも祟り、2度ほど重度の脱水症状に陥る羽目に。息が思うように出来ない苦しさを初めて体験しましたが、苦しみながら溺死する時はこんな感じなんだろうか? と想像してしまいました。
体調がすぐれない間も、取り付けたストーマに便という名のほぼ水様の液体が溜まるため、何度もトイレに通うのが大変でした。
それと同時に定期的に装具交換の練習をするのですが、これがまた不器用な私にはひと苦労。体力がない間は本当にこの装具交換の時間が地獄の辛さでした。
ご飯も食べられるようになってきて、そろそろ退院を待つばかりの頃に突然言われた、退院後も自宅で点滴治療が必要ですの知らせに目の前が真っ暗になり。今まで再発等があってもそんなに落ち込むことなく、やってきたのが初めて心の底からずどーんと落ち込んでしまい、一生点滴生活ならもう生きてる意味なんかないや、とまで思うほど。
主治医に詳しい説明を受け、ケア堪能の看護士さんにも色々相談に乗ってもらい数日でようやく前向きになることが出来ました。
最初はどうなることかと思った便の量も、薬の効果もありだんだんと減っていき。毎日もう退院したいしたいと願い続けた月末、ようやく退院の許可が出て目出度く退院になりました。
まさかまるまる1ヶ月というか、前月も含めるとまさか2ヶ月も病院に閉じ込められるとは思ってもいませんでした。
最初から消化器内科ではなく、消化器外科で治療していたならここまで体力が落ちることもなく、ストーマ生活にももっと早くに馴染むことが出来たのにという思いはぬぐえませんが。兎も角、ようやく家に帰ることが出来て本当に嬉しい♪
しばらくは点滴生活(現在も点滴しながらこれを打ってます)が続きますが、順調に回復していけば点滴から解放されて日常生活に復帰出来る日をめざしてゆるゆるやっていきます〜。
デリーモのランチ
2020.02.02 Sunday
QALで上京2日目のお昼は、ミッドタウン日比谷にあるデリーモへ行ってきました。
元々、赤坂見附にオープンして何度か行ったことがあったのですが、日比谷に移転していました。他に目白や渋谷ヒカリエ、関西にもお店を出しているようでびっくりです。
今回というか、上京する際はいつも周遊券付きなので大宮から有楽町まで乗ってもJRなら無料なのが有り難い。
ミッドタウン日比谷はもちろん初めて。一応有楽町からの行き方を確認しましたがわかりやすくて近かったです。
デリーモが入っている地下2階はとても天井が高く、戦前に同じ場所に建てられていた三信ビルディングの名残を敢えて見せていて壁や天井を見ているだけでもかなり楽しめました。
チョコレートを使ったスイーツがメインのお店ですが、ランチもあります。ランチはメインがパスタ、サンドイッチ等4種類くらいありました。
何となく温かいご飯が食べたかったのでタンドリー風チキンのドリアセットにしました。
ランチに+300円でショーケースの中から好きなケーキを1コ選んでつけることが出来るので迷わずデザート付きです。
小さな紙を渡されるので、料理が運ばれて来るまでの間、先にケーキを選定。どれも美味しそうなのですごーく悩みました。
ちなみにケーキは食事が終わってから選んでもOKです。
この日は親切な店員さんが今なら種類が沢山あるので先にどうぞーと助言をくれました。
写真にはないですが、最初にその日のスープ(この時はかぼちゃ)が運ばれてきます。濃厚で美味でした。
メインのドリア、サラダ付きです。皿の手前に少々不自然な空間があるのは、ここに温泉卵がつくのですが、食べられないので注文時に抜いてもらうようお願いしました(^^ゞ
想像以上にしっかりタンドリー風な味付けで美味しかったです。
日比谷店限定のケーキ、ヒビヤです。
普段、チョコレートケーキは滅多に食べないのですが中にピスタチオクリームが入っているのとほのかに杏仁が香る、という謳い文句に負けました。さりげなく金粉が降りかかっているのがお洒落です。
断面はこんな感じ。真ん中のうぐいす色の部分がピスタチオクリームです。外側のチョコムースの部分はかなり甘いけれど、中のピスタチオクリームがホントに美味しい。そして杏仁の香りというか味がしました!
何でだろう?とすごーく不思議ですが杏仁好きには嬉しい組み合わせです。
移転しても変わらぬ美味しさで良かった〜。ご馳走さまでした。
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